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Revolution

2019年7月6日更新

連載 第2回
JOHN’S CLOTHING

奥田:

河原さん2回目のREVOLUTIONです。宜しくお願いします。

河原:

宜しく。

奥田:

前回の内容をウチのHPにUPしてから業界内の知人や僕の故郷の友人などからメールをもらいました。
やっぱり河原さんの影響力は凄いなぁって思いましたよ。渋カジブームの時はどんなファッション雑誌を見ても河原さんが載っていたって上司が言ってました。どんな感じだったのです
か?

河原:

そうだねぇ、あの頃はとにかく雑誌の取材が多かったね。僕は基本的には店にいたかったんだけど店を離れる事も多かったね。

奥田:

雑誌にそれだけ出ちゃうと、有名人ですね!

河原:

渋谷とか原宿を歩いているとよく声を掛けられたよ。正直なところやり辛いところもあったよ。まぁでも、店にもたくさん来店してもらえたから文句は言えなかったね。

奥田:

あっ!テレビにも出たんですよね?

河原:

あ~~何度かね。昔の事だからよく覚えてないけど。

奥田:

どんな番組だったんです?

河原:

ん~~アメリカのカルチャーを紹介する番組だったかな。確かアメリカのファッションの時代背景やムーブメントからのスタイルなんかについて解説したワケ。

奥田:

凄いッスね~~

河原:

テレビの番組になるくらい、その当時のアメリカの様々なカルチャーが注目されたって事さ。

奥田:

なるほどですね。

奥田:

今も街で声を掛けられたりするんですか?

河原:

たまにね。20~30代の人からだと嬉しいよね。

奥田:

やっぱ、凄いッスね!

河原:

雑誌やテレビなんかでたくさん取り上げてもらったから。色々な経験をさせてもらったよ。

奥田:

河原さん本題に入りたいのですが、今回はジョンズクロージングの立ち上げた頃の話を聞かせて下さい。
学校を卒業して直ぐにアパレルの仕事に就いたのですか?

河原:

いや、最初はイベントの運営会社で働いてた。イベント会場の設営とかするわけ。で、1983年から渋谷にあったイエローキャブっていうショップで働きだしたんだ。

奥田:

イエローキャブですか?

河原:

もうとっくにないから知らないよ。渋谷のファイアー通りにあったショップで、当時バトウィンやデロングなんかでスタジャンのチームオーダーを受けたり、アメリカからのインポート品を扱っていたんだ。
ところがテナントで入っていたビルが取り壊しになる事になって立ち退きになってね。
イエローキャブは西武新宿駅にあったアメリカンブルーバードっていう商業施設にもう一つショップを持っていたからそっちの店でしばらくやってたんだけど、1986年にイエローキャブのオーナーが出資してくれるって言うからもう一度渋谷でショップをやる事になったんだ。

奥田:

イエローキャブとしてですか?

河原:

いや、その話は僕に全てを任せてもらえる事になったからショップの名前から自分で決めたよ。

奥田:

へぇ~凄いっすね。全部任せられるってもの凄い信頼感があったんでしょうね。

河原:

ん~~どうかな?まぁ僕もヤル気満々だったから良く見えたのかな?

奥田:

で、ジョンズクロージングになったんですね?ネーミングの由来を教えて下さい。

河原:

僕の中で店を仮想空間にしたかったんだ。

奥田:

仮想空間?どんなです?

河原:

1967年生まれのジョン君っていう設定。だからジョンズクロージングを開店した1986年に19歳。その19歳のジョン君の生活様式を想像して服や雑貨を揃えていく。そんな仮想空間にしたかったんだ。

奥田:

なるほどですね。だからジョンズクロージングなんですね!

河原:

色んな雑誌を見てアメリカのカルチャーを勉強したけど、アメリカ人の生活の中身までは分からないわけ。だから僕なりに19歳のジョンの生活様式を想像したんだ。どんな生活をしてどんな服を着てどんな遊びをしてみたいにね。

奥田:

なるほどですね。いやぁ僕も憧れちゃう仕事だけど、僕にはできないッス。店をプロデュースするって憧れますね。

河原:

僕もまだ若かったから、とにかく無我夢中で仕事をしたよ。成功したかったし。
仕事で出会った人たちに恵まれたよ。たくさんの人に支えてもらったから。その頃はとにかく忙しかったけど、今思えばメチャクチャ充実していたね。ハッピーだったよ。

奥田:

1986年、ジョンズクロージング誕生!ですね。

奥田:

アメリカにはいつ頃から行ったのですか?

河原:

ジョンズクロージングを開店させてその頃からだね。MAGICっていう世界最大のアパレルの展示会があって、アメリカ国内は元より世界中からアパレル業者が集まって展示するんだ。
MAGICは年2回開催されるから必ず行ってた。それ以外にも仕入で年2回くらい。合わせて年4回はアメリカに行ってたね。

奥田:

初めてアメリカに行った時の印象を教えて下さい。

河原:

そうだねぇ、一言で言えば全てがカッコ良かったね。街並みも車も、店の看板を見てもカッコ良かった。それまで雑誌で見ていて憧れていたものが目の前にあるわけだからそりゃ興奮するよ。

奥田:

いいッスねぇ~~僕もアメリカに行きたいッス。

河原:

もっとも見とれている時間はあんまり無かったけどね。限られた時間で仕入の成果を上げなければならなかったから。とにかく忙しかったよ。

奥田:

なるほどですね。旅行気分でいられないってことですね。

河原:

旅行気分?あり得なかったよ。

奥田:

その当時はどんな商品を仕入れたのですか?

河原:

その頃に流行っていたバナリパ、ラルフが多かったかな。あとはネルシャツやワークシャツが多かったと思う。あとはスタジャンに店の名前の「ジョンズ」って刺繍で入れてもらってたな。スタジャンと言えばベースボールだから「Jons b.b.c」ジョンズ ベースボール クラブ って入れてもらってたよ。

奥田:

ジョンが入っていた野球のチームですね。その他にどんな商品を売っていたのですか?

河原:

チャンピオンを中心にカレッジプリントとか、カーハートなんかのワークアイテム。アルファのMA-1とかアヴィレックスのB-3なんかも売ったなぁ。あとは僕が好きなオルテガのベストやペンドルトンのジャケットもあったよ。

奥田:

その中でも最初にヒットした商品は何ですか?

河原:

1986年って言ったら映画「TOP GUN」がアメリカで大ヒットした年なんだ。だからMA-1をメチャクチャ仕入れたわけ。アメリカで大ヒットした情報は直ぐに日本にも伝わってMA-1が売れ出したんだ。日本で公開されたのは翌年の1987年。その年はとにかく売れたね。あればあるだけっていう状態だった。あとはレッドウィングのエンジニアブーツも売れたね。まだそんなに扱っているショップが無かったからだと思うけどとにかく売れたよ。

奥田:

MA-1ですか!2~3年前に、もの凄く売れましたよ。

河原:

最近は何となく80~90年代にヒットした商品がリバイバルで売れてるよね。ノースフェイスやパタゴニアが売れてるみたいだけど、これも90年代に大ヒットしたからね。

奥田:

そうですね。上司の話を聞いてるとそれがよく分かります。昨年ヒットしたファーストダウンもそういう事ですよね。

河原:

そうそう。

奥田:

ありがとうございました。ジョンズクロージングの誕生までの経緯がよく分かりました。
河原さんのお話を聞いていると、アメカジへの思いが強くなっていきます。
次回からは河原さんのお気に入りグッズを紹介してもらいたいと思います。いいですか?

河原:

うん、大丈夫だよ。

奥田:

今回もありがとうございました。次回も宜しくお願いします。

河原:

こちらこそ。

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入荷直後から人気のあるTシャツです。ご来店お待ちしています。


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